仏教科学と近代科学の出会い:一人称的はじまり(藤野正寛)

身心変容技法オンライン・セミナー第5回は、「マインドフルネスの脳科学」(2020年12月10日開催)をテーマに藤野正寛先生が講師を務めます。「瞑想する神経科学者」として活躍される藤野先生が、どのようにしてその道へ至ったのか、キッカケをご紹介します。

 2014年4月に、京都で、京都大学の「こころの未来研究センター」とアメリカの「マインド・アンド・ライフ・インスティチュート(精神と生命研究所)」【*1】の共催による、ダライ・ラマ14世と科学者の対話が開催されました。【*2】

 会場には、ダライ・ラマを始め、様々な分野の第一線で活躍する科学者や研究者が集まっていました。その中には、マインド・アンド・ライフ・インスティチュートの評議員の1人であり、瞑想の神経科学研究の第一人者でもある、リチャード・デヴィッドソンの姿もありました。開催にあたり、ダライ・ラマは次のように語られました。

「およそ30年にわたって科学者と対話を重ねてきました。世間では、それらの対話を仏教と科学の対話と表現することがあります。しかし、その表現は間違っています。仏教には、宗教・哲学・文化・科学など様々な側面があります。仏教では、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想を実践しますが、それらが影響を与えるこころに関する詳細な智慧を蓄積してきました。これらの体験的な智慧の蓄積である仏教科学【*3】と物質的な現象を測定する近代科学の対話を重ねてきたのです。そのため、これらの対話では、来世や輪廻について語ったことはなく、こころや感情や慈悲について語ってきました」

 また、次のようにも語られました。

「科学者は、宗教者と同じく、開かれた態度で、欲望や期待を持たず、ただ客観的に対象を観察し分析することで真実を理解することができます。そのため、もし科学者が瞑想を実践しこころを鍛えれば、真実を理解するために計り知れない恩恵を得ることができます。だからこそ、何年にもわたって、そのような科学者たちと対話を重ねてきたのです。その目的は、70億の人々が幸せに生きられる世界を実現することです」

 この後の2日間にわたる対話は、瞑想の実践者と瞑想の研究者という一見異なる方向の道を同時に進もうとしていた私にとって、とても大切な道標となりました。その道標は、仏教科学と神経科学は同じ土俵で対話し、理解を深めあうことができるということでした。そしてそのためには、自分自身の体験的理解に基づいて研究をすること、様々な分野の宗教者・瞑想実践者・瞑想研究者との対話を大切にすること、自分自身を含むできるだけ多くの人々の健康や幸せのために研究をすることが大事なのだと気づきました。

瞑想による体験的理解

 少し遡った2010年9月に、京都で、ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想の10日間コースに初めて参加しました。【*4】当時、医療機器の会社で忙しく働いていた私は、自分自身の身心が健康でないと、世の中の人々の身心の健康にきちんと貢献することは難しいのではないかという思いを抱き始めていました。10日間コースでは、殺さない・盗まない・性行為を行わない・嘘をつかない・酒類や麻薬類を摂らないという5つの戒律を守るとともに、沈黙を守ることが求められます。その上で、朝の4時から夜の21時までの間に、休憩をはさみながら10時間程度の瞑想を実践します。前半の3日間はサマタ瞑想の1つである呼吸を用いたアーナーパーナ瞑想を実践します。この瞑想では、目と口を閉じて鼻腔を出入りする自然な呼吸に意識を集中することを繰り返し訓練することで、集中力を高めていきます。後半の7日間は、ヴィパッサナー瞑想を実践します。この瞑想では、高まった集中力を利用して、順番に身体感覚を観察します。そして気づいた身体感覚を利用して反応しない態度や判断しない態度を維持することを繰り返すことで、平静さを高めていきます。このように身体感覚に気づき平静であることを繰り返すことで、徐々にそれらの身体感覚に関わる身体とこころの緊張が解けていくのを感じました。【*5】

 このコースでの体験から、同じように目を閉じて実践するサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想が全く異なるものであること、特にヴィパッサナー瞑想を実践することで身体とこころの緊張が解けること、コース後にもしばらく身心の穏やかな健康状態が持続することを、体験的に理解することができました。コースから戻った後に、多くの人にコースについて聞かれました。私はそれに対して、最初の3日間は呼吸に集中し続け、後の7日間は身体感覚をあるがままに観察し続けたら、コースからでてきてからほんのり幸せな日々が続いているということを、無邪気に説明していました。しかし、「ほんのり幸せな日々」などと言うと、不思議なものを見る目をされたり、すっと距離ができてしまったりすることを何度か体験しました。もちろん私に瞑想について語れる知識も経験も足りていなかったことが原因なのですが、この伝わらないもどかしさを繰り返し感じていく中で、自分自身が体験的に理解したことを、周りの人々にわかりやすく伝えたいという気持ちが大きくなっていきました。そして、コースを受けてから3ヶ月後に、会社に辞表を提出し、大学に入り直すことにしたのです。

 2012年4月に、京都大学教育学部に3年次編入してからは、年に2回10日間コースに参加しながら、そこで得られた体験的理解に基づいて、自分が研究すべき道を探り始めました。その中で、もう1つとても重要な体験をしました。それは、4回目の10日間コースでのことでした。ゴエンカ式では、ヴィパッサナー瞑想中に、身体の一箇所にとどまって身体感覚を観察し続けることや、無理やり身体内部の感覚を観察することがきつく禁止されています。これらは、ヴィパッサナー瞑想をするための安全装置だと考えられます。しかし、特定の身体部位に強い緊張を抱え、毎回その緊張から生じる痛みが瞑想の邪魔をしていると感じていた私は、その特定の部位に延々ととどまり、そこで何が起こっているかを観察し続けてしまいました。そうすると、一塊だと思っていた緊張感が少しずつ解けていき、一番奥にある神経のようなものを観察できるようになりました。そしてそのようなものが身体の中を張り巡っていることに気づき、好奇心を抑えられなくなり、それらを延々と辿っていくということを続けてしまいました。その結果、最終日くらいに、急に大きな不快感のようなものが身体の表面に現れてきて、それが消えることなく戻ることなくとどまってしまったのです。そのままコースを終えたあと、その不快感はおよそ2年間にわたり、断続的に生じてきました。日常生活が営めないほどの不快感ではありませんでしたが、そのような不快感が生じている間は、重いものを持ったり走ったりすることもままなりませんでした。このような不快感がどうすれば治るのかを調べようとしたのですが、そういったことを専門的に研究している人がみあたらず、また瞑想の禁忌研究もほとんどみあたりませんでした。幸い、身体の様子を見ながら少しずつヴィパッサナー瞑想を続けていくうちに、そのような不快感は消えていきました。

体験的理解を説明するための神経科学研究

 このような体験や人から聞いた話とともに、年に2回10日間コースに参加するということを繰り返しながら【*6】、私は身心がタマネギのように複数の層から出来ているというイメージを持つようになりました。1回目の10日間コースで、前半の3日間で呼吸を用いたアーナーパーナ瞑想を実践し、集中力を高めることで、表面の一層目に蓄積する身体感覚に気づけるようになります。そして後半の7日間でヴィパッサナー瞑想を実践し、一層目で気づいた身体感覚という自然現象を利用しながら、自然の摂理に関する体験的理解を蓄積していきます。そのような智慧に支えられて、反応しない態度や判断しない態度を維持できる平静さが高まっていくのです。次に、2回目の10日間コースで、また前半の3日間でアーナーパーナ瞑想を実践します。この時には、1回目よりも集中力が高まり、二層目に蓄積する身体感覚に気づけるようになります。そのような身体感覚は、一層目にあった身体感覚よりも反応しない態度や判断しない態度を維持することが困難なものとなっています。しかし、1回目のヴィパッサナー瞑想で平静さを高めているために、そのような身体感覚を利用しながら、さらに自然の摂理に関する体験的理解を蓄積していくことができます。そのような智慧に支えられて、さらに平静さを高めることが可能となるのです。しかし、ヴィパッサナー瞑想中に、身体の一箇所にとどまって身体感覚を観察し続けた場合、集中力が低くても、タマネギに針を突き刺すように、いきなり奥深くのより複雑でトラウマティックな身体感覚に直面してしまう恐れがあります。そしてそのような身体感覚と向き合う平静さが足りないために、それに強く反応したり押さえ込もうとしたり、それが表面化してきて対処できない状況が生じたりするのではないかと考えるようになりました。

 2014年の4月に、京都大学大学院教育学研究科に進学してからは、これらの
 ①サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想が全く異なるものであること、
 ②特にヴィパッサナー瞑想の実践で身心の緊張が解けること、
 ③コース後にも身心の穏やかさが持続すること、
 ④瞑想は正しい実践方法を守らないと危険が伴うこと、

 という体験的理解をもとに、fMRI【*7】を用いた瞑想の認知神経科学研究を進め始めました。当時、指導教官の野村理朗からは、「あと10年早く日本でこういった研究を始めようとしたら、認知神経科学系の研究室では、受け入れてくれるところが見つからなかったかもしれないね」と冗談で言われたことがあります。今振り返っても、日本の研究機関で瞑想の認知神経科学研究を始めるのに、とてもいいタイミングだったと感じています。

 以下では、瞑想の神経科学研究の歴史を概観した上で、それらの研究によって解明されつつある瞑想のメカニズムと、今後の研究の課題について見ていきます。


【注】
*1 The Mind and Life Institute(マインド・アンド・ライフ・インスティチュート:精神と生命研究所)
*2 マッピング・ザ・マインド(http://kokoro.kyoto-u.ac.jp/jp/news2/2014/04/mapping-the-mind.php)
*3 瞑想によって高められた観察力によって、こころの性質と機能を主観的・一人称的に研究する活動。仏教と科学は、どちらも普遍的な法則の存在を前提として、その存在を批判的に検討している点で一致しているといった議論が、一九八〇年代後半から行われてきている。この点に関して、ダライ・ラマは、もし近代科学が、仏教のある主張が誤りであることを示した場合には、仏教のその主張を放棄すべきだと考えている。
*4 この記事内のゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想に関する記述は、全て私の個人的な体験および見解であり、ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想を指導する日本ヴィパッサナー協会の公式見解と異なる可能性がある。
*5 身体とこころの緊張が解けていくことの背景には、集中力と平静さとともに身体感覚を観察することによって、自然の摂理を体験的に理解できるようになっていくことがあると考えられる。この点に関しては、「体験的理解の重要性」で説明する。
*6 ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想では、京都と千葉で、それぞれ年に一〇回程度の一〇日間コースが開催されており、繰り返し参加することが可能である。
*7 機能的磁気共鳴画像法

(掲載より一部修正)

この記事は、「別冊サンガジャパンVol.3」の一部を抜粋・再構成したものです。

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