チャルーン・サティ(気づきを高める瞑想)とティアン・チッタスポー師(浦崎雅代)

日本人僧プラユキ・ナラテボー師が指導し、日本でも実践者の多い手動瞑想=チャルーン・サティ。欧米では、ムービング・メディテーション(Moving Meditation)、リズミック・メディテーション(Rhythmic Meditation)、ダイナミック・メディテーション(Dynamic Meditation)などと訳されている、14の腕の動きを伴う、独特のヴィパッサナー瞑想法だ。この瞑想法を編み出したのは、ティアン・チッタスポー師というタイの高名な瞑想指導者で、プラユキ師の師の師でもある。タイ仏教翻訳家の浦崎雅代さんにティアン・チッタスポー師の評伝を『サンガジャパンVol.36ヴィパッサナー瞑想』にご寄稿いただいた。浦崎雅代さんによる「チャルーン・サティの生みの親:ティアン・チッタスポー師とその系譜(「ヴィパッサナー瞑想」連続オンラインセミナー第2回)」(2021年1月16日土15:00~16:30開催)を前に、その一部を抜粋して公開します。

※表紙写真:ルアンポー・ティアン・チッタスポー師が生まれた村のお寺、ルーイ県チェンカーン郡ブホム村パンパリキ寺

 現代のタイ仏教において、ウィパッサナー瞑想【*1】を実践の核としているお寺は数多くあります。一般的には、呼吸を観るアーナーパーナサティ、プッ・トーと文言を唱えながらのプットー瞑想、また足の動きをかなりゆっくり動かして、その細かな動きを言葉と共に確認しながら行うラベリングを伴った歩行瞑想などが実践されています。そうした方法が主流ではありますが、1950年代後半に編み出され、現在にまで受け継がれているユニークな型のウィパッサナー瞑想があります。それは“チャルーン・サティ(タイ語で「気づきを高める」の意味)”とよばれる瞑想法で、体の自然な動きを使ってサティ(念:気づき)を高めることを目的としたものです。ティアン・チッタスポー師(Teean Jittasubho)という東北タイ出身の僧侶が編み出しました。
 本稿では、チャルーン・サティの瞑想実践について、特にその特徴とされる「手」を動かす型の瞑想法を中心に詳説し、またその型を編み出したティアン・チッタスポー師の生涯と人となりについてもご紹介したいと思います。この方法は、現在タイ国内のみならず国際的にも知られるようになり、特に中国や日本での認知が高まってきています。


ティアン・チッタスポー師


ティアン師が住職をしていたお寺にある、ティアン師自らがモデルの手動瞑想のポスター

ティアン・チッタスポー師の生涯

 それでは、チャルーン・サティを編み出したティアン師について紹介します。ティアン(ティエンと表記する場合もある)・チッタスポー師は、仏暦2454(西暦1911)年9月5日、タイ東北部にあるルーイ県チェンカーン郡ブホム村という小さな村で、6人兄弟の5番目の子供として生まれました。本名は、パン・インタピウ。ティアンという名前は本名ではありません。
 ティアン師は、在家時代に家族がおり息子が3人いました。その次男の名前が「ティアン(ろうそく、灯を意味するタイ語)」だったのです。その地方では、子供のいる既婚成人男性を呼ぶ際に、本名を呼ばずに「〇〇くんのお父さん」と呼ぶ慣習がありました。在家時代に呼ばれていた、ティアンくんのお父さん(クンポー・ティアン)という呼び名に馴染みがあったことから、出家後もその名を使って呼ばれることとなりました。


ブホム村にあるティアン師の生家、2020年現在の様子

 パン少年(のちのティアン師)が生まれた村では、ほとんどの人が農業に従事していました。パン少年の家庭も農業で生計を立てていましたが、父親が早くに亡くなり、母親と兄弟たちを手助けするため、パン少年もまた幼い頃から農業を手伝っていました。その村には学校はなく、遠く街の学校に通うことも不可能でした。
 10歳の頃、僧侶である叔父の勧めもあり、サーマネーン(沙弥)として出家しました。その際に読経や瞑想、仏教の教えに触れ、熱心に修行をしました。瞑想修行は、一般的なプットー瞑想の方法でした。1年6カ月ほどしたのちに還俗し、再び家族を助けるために働きます。還俗後も、仏教のみならず呪術的な施術(当時の村の僧侶たち、村人たちの多くが信仰していた)にも関心を持っていました。
 その後慣習に従って、20歳で再び6カ月の出家。還俗の二年後に結婚して家庭を持ち、3人の息子(それぞれ名前は上からニィアム、ティアン、・トゥリアム)が誕生しました。長男は五歳で死去してしまいました。農業をしながら、小さく商売をするなどして一家の生活を支えながらも、村のリーダーとして寺へのタンブン(徳積み)に励みました。そうして彼は村長に選ばれるほどに、村人からの深い信頼を得るようになりました。
 その後も商売はうまくいき、メコン河を渡りラオスへの行き来も増えていきます。ラオスでいくつかの寺を訪れ、ウィパッサナー瞑想を教える僧侶の先生たちと出会います。熱心に在家修行者として瞑想修行を続けていたパン氏は、四十六歳の時にこう思うようになります。「徳を積み、悪業を積まず、瞑想修行をしていても、未だ自分に生じる怒りに打ち勝ててはいない」と。そしてこれから本当の法に出会うための本格的な修行をすることを妻に告げ、財産の整理をして妻子と別れての修行の旅がはじまりました。

 その後、同じ東北タイにあるノーンカーイ県ランシームクダーラーム寺にとどまり、修行をされます。その寺は、ラオスの高僧マハーパン・アーナントー僧(1911~1968)によって独特なウィパッサナー瞑想スタイルが教えられていた寺のひとつでありました。それがティン・ニン、あるいはワイ・ニン(いずれも動く・止まる、の意味)という体の動きを使った瞑想です。

 体の動きがあれば「ティン(ワイ)」と言葉を発し、止まれば「ニン」と言葉を発しながら瞑想。このティン・ニンのスタイルとの出会いが、のちの手動瞑想を編み出すきっかけとなりました。のちにティアン師が編み出したスタイルは、動きがあっても止まっても言葉を介さずに、ただただ感じる、気づくというやり方でした。
 この頃の修行中のエピソードに、このような話があります。ある日、ティアン師が修行をしていると足にサソリが落ちてきました。足にくっついただけで、サソリは師の足を咬むことはありませんでした。ティアン師はそのサソリを見ても怖れに取り巻かれることなく、ただただサソリがいるということを感じられたのでした。ここで師は、サソリという形あるものと、足という形あるもの同士が単に触れるだけでは咬まれることはないのだ、と知ります。そして咬むという行為を成り立たたせるには、心が関連していることを深く悟るのでした。つまり、名(形なきもの)と色(形あるもの)の分離を、このサソリでの体験ではっきりと観たのでした。
 その後も心身の観察をし続け、仏暦2500(西暦1957)年7月7日(太陰暦の8月11日)に歩行瞑想をしているときに、苦しみの生滅について深い洞察が生じ、師にはっきりとした心の変化が生じます。それは無常・苦・無我の三相が智慧を伴って観えてくることでもありました。
 その後、ティアン師は家に戻り、在家者のままの立場で妻をはじめとした家族、親戚、友人知人たちに法を説き、瞑想実践を伝えはじめます。次第に師の元に集い修行を始める人々が増えていきます。その一方、師の一風変わった瞑想スタイルの指導に批判的な目を向ける人たちもいたようですが、ティアン師はそのような批判に関しては一切関心を持たず、ただひたすら法を説き、真実を伝える実践にまい進していました。
 その後、法を伝えるには在家者の立場よりも、僧侶であるほうが都合が良いため、仏暦2503(西暦1960)年、再びルーイ県チェンカーン郡シークンムアン寺にて3度目の出家をします。師が48歳の時でありました。
 ティアン師は、僧侶となりさらに修行を深めるにつれて「気づき(サティ)」の重要さを説いていきます。とりわけルースック・トゥア(自分自身を感じること)。動きを使って気づき・集中力・智慧を高める方法としての手動瞑想は、ブッダの伝えられた教えをもとに、生身の自分自身を感じるひとつの型として確立されていったのでした。
 僧侶となったティアン師は、精力的に法を説き、徐々にティアン師の弟子として実践する僧侶、在家者が増えていきました。拠点とされていたルーイ県やノーンカーイ県のみならず、東北タイ各地、そしてバンコク郊外のサナームナイ寺でも修行、瞑想指導を行ないました。
 ティアン師の初期からの主な弟子は、ブンタム・ウッタムタンモー師(チャイヤプーム県スカトー寺開拓時の僧侶であり、現在ポントーン寺住職)、故カムキエン・スワンノー師(スカトー寺、プーカオトーン寺先代住職)、故マハー・ディレ・プッタヤナンドー師(プレー県プレーセンティアン寺先代住職)、トーン・アパカロー師(ノンタブリー県サナームナイ寺住職、ティアン財団初代代表)らがおられます。
 弟子の中には、当時南タイを活動拠点にしていた高僧プッタタート比丘の元で十年間僧侶として修行をし、その後ティアン師の弟子になったコーウィット・ケーマナンタ師もおりました。彼は説法に長け多くの人に人気がありましたが、いまだ心に慢心があることをティアン師に指摘され、師の洞察力に深く感銘を受けて修行精進に励みます。コーウィット師はその後還俗しますが、彼は芸術への造詣も深くタイのいわゆる知識層との縁が深い方でした。コーウィット師らの弟子を通じて、1970年代頃には都市にいる中間層にこのチャルーン・サティも次第に知られるようになりました。
 1982年には、マレーシアやシンガポールに在住するタイ人や現地の人に対しての瞑想指導の依頼を受けて、海外も訪れています。特にシンガポールでは、日本の禅宗系宗教団体である三宝教団の山田耕雲老師ともお会いになり、禅についても関心があったことがうかがえます。
 しかし、その頃からティアン師は体調を崩され、胃がんと診断されて療養生活をしながらの修行を余儀なくされます。仏暦2531(西暦1988)年9月13日、ルーイ県タップミンクワン寺にて永眠。最後の出家から29年目の享年77歳。多くの弟子に囲まれての穏やかな最期でありました。


ティアン師生誕109年のイベントでのプログラム。ブホム村のメコン川沿いを歩き師の足跡を偲びつつ歩行瞑想する弟子たち


ティアン師の生まれたブホム村の現在。メコン川流域で川の向こうはラオス

ティアン師の人となりと教えたこと~はまり込みから目覚めへ~

 一般的にタイでは、説法をしたり瞑想指導をしたりするのは、僧侶の役割であると認識されています。しかしティアン師は、在家の立場であったときからすでに法を説き、人々を真実の苦しみなき修行への道に導かれていました。貧しい村に生まれ、学歴があるわけでもなく、僧侶として地位ある立場において法を説きはじめたのではないにもかかわらず、妻をはじめ彼の身近な人々や弟子からの信頼を得て、法を生涯説き続ける人生でありました。ティアン師の後半の人生約30年間は、まさに法の流布にその身を捧げたといっても過言ではありません。
 ティアン師には多くの弟子がおり、その系統の中でも現在まで続く発展に大きな影響を与えたのがチャイヤプーム県にある森の寺、スカトー寺先代住職の故カムキエン・スワンノー師です。チャルーン・サティを村人や国内外の人に広めた大きな功績をなされた方でした。そしてそのカムキエン師の弟子のひとりが、パイサーン・ウィサーロ師、現在のスカトー寺住職です。
 若かりしパイサーン師にはじめて瞑想指導を施されたのが、ティアン師でした。パイサーン師によると、ティアン師に直接指導を受けて、最初にかけられた言葉が「タムレンレン(遊び心を持って、結果を期待せずに)でやりなさい」だったそうです。そのパイサーン師は現在も多くの説法を説いておられますが、その中でも特にティアン師のエピソードについて言及されている部分がありますので、紹介します。……(つづきは本誌をお読みください)


*1――vipassan. 本稿ではタイ語の発音に近いようにウィパッサナーと表記。以下、パーリ語の表記は同様。

【参考文献】

  • Jakkrit Ployburanin “THE DYNAMIC MEDITATION OF LUANGPOR TEEAN JITTASUBHO LINEAGE: EMERGENCE, PROLIFERATION AND SIGNIFICANCE TO CONTEMPORARY THAI SOCIETY” Ph.D Dissertation, Faculty of Arts, Chulalongkorn University, 2019
  • Luanpor Teean Jitttsupo ” To One That Feels: The Teaching of Luangpor Teean” translated by Charles Tabacznik and Tavivat Puntarigvivat. O.S. Printing House, 1984
  • カンポン・トーンブンヌム(上田紀行監修/プラユキ・ナラテボー監訳・浦崎雅代訳)『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』佼成出版社、2007年
  • タウィーワット・プントリカウィーワッタナ『ティアン・チッタスポー:気づきを高めることの奇跡』スカパープ・チャイ、2012年(タイ語)
  • プラユキ・ナラテボー『「気づきの瞑想」を生きる.タイで出家した日本人僧の物語』佼成出版社、2009年

【参考ウェブサイト】
https://lpteean.blogspot.com/2010/12/blogpost_7505.html?fbclid=IwAR1Q4w4ElXGe0qXLhqr9z_uoTiU3IH95v20DTBdvJkbjAC7y9TMljt937u8

http://www.pasukato.org/luangporteean.html
https://note.com/urasakimasayo/n/na0bf8e1603d4
https://note.com/urasakimasayo/n/nfc51c51c6e7f

この記事は、『サンガジャパンVol.36』(2020年)の一部を抜粋・再構成したものです。

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