マインドフルネスやACT(アクト)に代表される第三世代の認知行動療法の第一人者の熊野宏昭氏は、研究者として、また心療内科医として活躍されています。現在人口に膾炙するマインドフルネスのけん引役として、NHKスペシャルをはじめとしてメディアにも多数出演されています。マインドフルネスのポイントが凝縮し整理された本記事は、マインドフルネスの実践をわかりやすく解脱した著書『実践!マインドフルネス』(サンガ、2016年)の刊行を記念して、2016年9月6日に開催された講演会の採録です。(第3回はコチラ)
構成=中田亜希
13 マインドフルネスを仏教から理解する──アーナーパーナサティ・スッタ
高野山大学の井上ウィマラ先生が翻訳された『呼吸による気づきの教え──パーリ原典「アーナーパーナサティ・スッタ」詳解』(佼成出版社)によると、アーナーパーナサティ・スッタとは、「呼吸を4つの領域から16の視点で見つめるトレーニングシステム」だといいます。
4つの領域というのは、身体の領域、感受の領域、心の領域、法則性の領域のことです。最初の身体、これは身体のことですね。2番目の感受とは、五感と思考によって外界・内界を捉えること。さらに外界・内界を捉えたときにふと感じる「これはいい」「これは嫌だ」「んー、どちらでもない」という感覚までを含めたもののことをいいます。
3番目の心は感情のことです。仏教でいえば煩悩、貪瞋痴です。貪は欲、瞋は怒り、痴は混乱です。痴は英語でdelusion(惑わし)、あるいはselfing と訳されます。自分じゃないものを自分だと思いこむ心の働きが痴なんですね。自分じゃないものの代表が貪と瞋です。何かが欲しくなると、それしかもう自分はいなくなってしまう。怒り狂うとその相手をやっつけることしか自分がいなくなってしまう。そういうふうにして貪と瞋と自分を混同する心の働きが、もともと痴として我々の心に備わっています。そういうものを鎮めていくことをマインドフルネスは目標にしています。
4番目は法則性です。仏教には無常・苦・無我という3つの法則があります。
無常というのは「すべてのものは常に変化している」ということです。変化すること自体は悲しいことでも嬉しいことでもありませんが、我々は常に変化しないでほしいと願っています。いつまでも若くいたい、いつまでも人の気持ちが自分のほうを向いていてほしい……それで苦しむはめになっています。
苦は英語でunsatisfactoriness といいます。「満足できないこと」ですね。日本語で苦というと「うおー、大変だ」という雰囲気がありますが、「満足できないこと」と言われたら「なるほどね」という感じではないでしょうか。
無我というのは、「自分じゃないものを自分と思いこんでいる心から離れましょう。離れれば瞬間瞬間の自分しかいませんよ」ということです。
私はこれを「気づきの3つの前線による、本丸の守り」だと考えています。どういうことか簡単に説明します。マインドフルネス瞑想で「膨らみ・膨らみ」「縮み・縮み」とやっていると、すぐ雑念が出てきます。なんかこう、自分の内側から「これどうなんだろう?」などの思い、考えが出てくるんですね。それに気がついたら「雑念・雑念、戻ります」と言って再び呼吸に戻ることができます。そうすると、呼吸に伴う身体感覚にだけ気づいているという状態が維持できます。
さらに瞑想を続けていると、今度はだんだんイライラしてきたり、何かが欲しくてたまらなくなったりします。怒りや欲が動き始めるんですね。それに気がついたら「怒り」とラベリングをします。「怒り・怒り……戻ります」「欲・欲……戻ります」と言って再び呼吸に戻ることができます。つまり、最初の段階で早めに気づいて戻ることもあれば、その前線が突破されて、もう少し進んで次の防衛線で気づいて戻ることもあるということです。それでも気づくことができれば、また瞑想の実践に戻れるわけです。
それもうまくいかずに、もっともっと欲や怒りがわいて、それでも考えるのをやめられなくて、瞑想中に何をやっているのかわからなくなるようなこともあります。陣内深く攻め込まれてしまって、混乱の極みです。こういうときは「もう今日はうまくいかないな」ということで瞑想をやめて寝てもいいわけですが、これも戦略としては同じで「今、自分は混乱している」と気づけばいいわけです。「混乱・混乱……戻ります」といって、呼吸に伴う身体感覚まで戻します。
このようにアーナーパーナサティ・スッタによる瞑想の進め方というのは、気づいて戻す、気づいて戻す、その繰り返しです。気づけばそれでもう充分なわけです。ここで「あ、今雑念が出てきてるぞ」と気づく。「ああ、今なんかイライラしている。怒りが出てきている」と気づく。同時に身体感覚にも気づき続けます。気づかないと雑念や感情はどんどん大きくなってしまいますが、気づけば、身体全体にも気づきが向かってますので、それ以上大きくならずに、そのうち消えていきます。「ああ、今、混乱してどうしていいかわからなくなっている」というようなときも、それに気づけば、再び身体全体の気づきが回復し、混乱がだんだん小さくなって消えていきます。
14 「あることモード」と「することモード」
「自分の体験に気づいて反応を止めることによって、いつものパターンから抜けること」がマインドフルネスの戦略の基本です。たとえばイライラしたら「こういうときに俺ってイライラしちゃうんだよな。怒りがどんどんわきあがってくるんだよな。そうするともっと怒りたくなって自分で自分に油を注ぐんだよな」と気づく。気づくとそこでいつものパターンを止めることができます。
我々は習慣の奴隷です。その中には体験の回避のような、うまくいかない癖もたくさん身に付けています。その癖に従って毎日が繰り返されていくので、それが悪循環となって病気まで引き起こしてしまうわけです。それはなかなかやめられません。なぜなら体験学習で身に付けたものが多いからです。でもそこに気づけばそこでパッと止めることができるわけです。それでいつものパターンから抜けることが可能になるんですね。
ですから「気づく」ということが重要なのです。マインドフルネスの日本語訳は「気づき」です。気づくのはネガティブな感情だけではなく、すべてです。気づくことによって反応を止めていつものパターンから抜けることができると、過去の学習歴によって形成された反応パターンを消去することが可能になります。
タイのスカトー寺にいらっしゃる日本人僧侶のプラユキ・ナラテボー先生の瞑想指導は非常にユニークです。歩く瞑想はただ歩くだけなのですが、「歩くこの1歩に気づくんだ」と言うんですね。「ここで左足を出したと気づいたら、次はそこで止まってもいいし、振り返ってもいいし、右足を違う方向に出してもいいし、普通に歩き続けることもできます。でも気づかなかったら、どれもできないでしょう。1歩に気づけば次の1歩は自分が選べます」、そんなふうにおっしゃっていました。いつものパターンを止めることは、我々に自由を与えてくれるんですね。
瞑想して何もしないでいることを「あることモード」といいます。それに対して我々が普段生活の中で使っているのは「することモード」(問題解決)です。いろんなものを生産するためには集中しなくちゃいけない、過去と未来を仮定しなくちゃいけない。そうすることによって我々はいろんなものを生み出しているのですから、「することモード」は我々が生きていくためには必要です。
でもそれだけでは、どんどん疲弊してしまうので「あることモード」にも一定の時間は戻れるようにしましょう、2つのモードを自分で選べるようになりましょう、というのがマインドフルネスが目指している目標になります。
ですから、今、自分がどちらのモードにいるのかにも気づけるようにならなければなりません。「あることモード」を選択するのか「することモード」を選択するのかは、それぞれの状況に応じて決めればいいのではないか、というのがマインドフルネスの考え方です。
15 脳科学が証明するマインドフルネスの効果
最後にちょっとおまけで脳の話もしておきます。脳は筋肉と同様に、使うと構造まで変化します。筋肉は使えば使うほど膨れますが、脳も同じなのです。【図3】
2004年のことですが、英科学誌『ネイチャー』に、「ジャグリングを3か月訓練をすると、自分と周りの空間との位置関係を確認、とらえるような脳の部位が肥大した」という論文が掲載されました。しかも驚くことに三か月休んだらもとに戻ってしまったといいます。まさに筋肉と同じです。我々の脳は使えば発達し、休めば戻る。それぐらい柔らかいんですね。
【図3】
島と扁桃体
ではマインドフルネスを実践すると脳はどうなるのでしょうか。これは2005年に報告されていますが、マインドフルネスを平均9.1年行った人たちの脳を調べたところ、脳の限られた場所の厚みが変わっていたといいます。【図4】
【図4】
変わったのは脳の島という場所です。島は我々の身体感覚の最高次の中枢です。普通我々の身体の感覚というのは、バラバラのパーツとして捉えられていますが、パーツとして捉えられた身体の感覚を全部まとめて統合する場所が島なんですね。これは瞬間瞬間我々がどんな体験をしているかということを感じ取り、瞬間瞬間の自己を創り出す脳の部位だと言われています。
瞬間瞬間、自分の呼吸に伴う身体感覚を感じ続けるのがマインドフルネス瞑想なので、それを使っている分だけ、島の厚みが増えたのだと考えられます。
島の隣り合わせには感情を司る扁桃体があります。昔から「我々は悲しいから泣くのか。泣くから悲しいのか」という問題があります。心理的に創り出された感情が身体に影響を及ぼすのか、身体の変化を解釈して感情が創り出されるのか、どっちなんだという議論ですね。
調べてみるとどうもどちらもありそうなんですね。島から扁桃体にも、扁桃体から島にも、両方に連絡があるからです。しかしマインドフルネスを続けていくと、この両者のあいだが分化してきます。今までは身体と感情が一体になってもうわけがわからなくなっていたのが、身体は身体、感情は感情と、分化してくるのです。【図5】
【図5】
それからもう1つ、背はい内ない側そく前頭前野の厚みも増していました。ここは「物語の自己」と関係している場所だと言われています。「物語の自己」というのは概念化された自己、つまり自己概念です。「自分はこういう人間だ」というのを司っている部位がここなんですね。自己概念の捉え方が変わったことにより脳が変化したのではないかと考えられます。
つまりこれらのことからわかるのは、マインドフルネスとは瞬間瞬間の自己を鍛えていくものだけれども、その前提として、自分がどんな自己概念を持っているのかをしっかり見ていくことが行われているのではないか、ということです。
さらに別の研究もあります。ストレス状態にある26名を対象にしてMBSRという8週間のグループ療法を受けてもらい、その前後で感情をつくり出す扁桃体がどう変化したかというのを見た研究です。調べたところ、右の扁桃体の基底外側部の神経細胞が多く含まれている灰白質の厚みが減少すればするほど、自覚的ストレス得点も減少するということがわかりました。感情がうんとつくり出されているとき──とくにネガティブな感情を多く体験しているときは、扁桃体が働いて肥大します。しかしマインドフルネスを8週間体験すると、扁桃体が痩せてスリムになるのです。スリムになればなるほど、自覚的ストレス得点が減少するんですね。あるいは逆かもしれません。自覚的なストレスが減少すればするほど扁桃体が働かなくて済むので、扁桃体がスリムになったとも考えられます。
海馬の変化
それからもう1つ、MBSRに参加した16名と年齢に有意差のない比較対照群17名を比べてみたところ、8週間のマインドフルネス実践の前後で、海馬の灰白質の厚みが増大していたという研究もあります。海馬は記憶や情動のコントロールと関係しており、今、非常に注目されている場所です。トラウマ記憶の処理にも関係していて、鬱病になると海馬の働きが落ちることもわかってきています。【図6】
【図6】
最近、抗鬱薬を飲むと海馬が太ることがわかってきています。海馬の代謝を活発にして、海馬から嫌な記憶を追い出すことで、鬱の改善につながっていくんだろうということがわかってきているんですね。ですから、海馬をどうやって回復させるか、あるいは海馬の健康をどうやって維持するかということが、今、精神医療・心身医療の中では重要なトピックスになっています。
マインドフルネスも同じように海馬の厚みを増大させることができるということもわかってきました。そのことがマインドフルネスが鬱病に効果を示す大きな根拠になっているのではないか、というのが今の研究の1つの成果です。薬を使わなくてもマインドフルネスの実践で、海馬を元気にできるということは、大きな福音なんですね。
海馬は記憶を司っています。海馬の中には中期記憶(まだ思い出に変わっていない記憶)が蓄えられています。中期記憶は半年ほどそこにあるのですが、半年経つと追い出されて脳の他の部位に移っていくんですね。他の部位に移った記憶は安定した長期記憶になって思い出に変わります。
海馬の中にとどまっている記憶は不安定です。トラウマのような記憶は海馬の中にとどまっていて、思い出されると「うわー、こんなの思い出したくない」と体験の回避・認知的フュージョンが起こり、ぐちゃぐちゃになって再び海馬にしまわれてしまいます。そうするといつまでたっても思い出に変わってくれません。
海馬で新しく神経細胞が生まれるとき、古い記憶を担っている細胞が死にます。古い記憶を担っている細胞は死ぬときに、記憶を脳の他の部位に移行させるということがわかってきています。鬱の人は海馬の代謝が落ちていて、1年も2年も記憶が海馬にとどまってしまうことが知られています。だからネガティブな体験がどんどん重なっていくんですね。ですから早く海馬の細胞が生まれて早く記憶が移行したほうが、我々は嫌なことをどんどん忘れて健康でいられるというわけです。
海馬は認知症にも関係しています。マインドフルネスで海馬を元気にできるとなると、認知症の予防にもつながってくるのではないか、あるいは、軽度の認知症の改善にもつながるといえるのではないかと思います。
16 まとめ
まとめです。マインドフルネスは注意を集中するサマタ瞑想と注意を分割するヴィパッサナー瞑想を行うことです。
ACTはアクセプタンスと脱フュージョンによって心を閉じず、飲み込まれないことを目指し、プロセスとしての自己や観察者としての自己、場としての自己を強化することで、マインドフルネスと同等のものを実現しようとしています。プロセスの自己は「今ここ」を感じる行動、「場としての自己」は、注意のフォーカスを最大にしていろんなものに同時に気を配り、偏りなく現実をとらえる行動です。
アーナーパーナサティ・スッタでは気づきの前線を形成しつつ、いつものパターンから抜け出すことが繰り返し説かれています。
マインドフルネスによって自己知覚の変化や情動に関わる脳の部位の構造変化がもたらされます。これは大きな福音になるのではないかと思います。
私の話はこれで終わりです。ありがとうございました。
(了)