※表紙写真「無量寿仏」阿弥陀仏の異称。阿彌陀仏の寿命がはかりしれないところから、そう呼ばれる。
瞑想は、解脱や悟りをもたらすだけではない。知的パフォーマンスの向上、高い創造性、あるいは健康や長寿をもたらすと、伝統的に考えられてきた。
最近の科学的研究は、そのメカニズムの一端を明らかにしつつある。長寿や老化についていうと、呼吸の観察によるシャマタ(「止」)の瞑想を、1日6時間、3カ月間、隠棲して実修した場合、テロメア修復酵素の分泌量が多くなることがわかっている。テロメアは染色体の端の部分にある構造体で、細胞が分裂するたびに少しずつ短くなる。そのため、老化の指標として用いられることが多い。シャマタ瞑想は、このテロメア短縮のスピードを遅くするのである。
ここでは、チベット仏教や医学のなかで、健康や長寿がどのように考えられているか、大きく3つの点から、簡単に述べることにしよう。
チベット医学によると、寿命は基本的にカルマによって決まっている。そのため、放生をはじめとする善業を積むことによって、ある程度変えることができると考えられている。
2番目に重要なのは、チューレン薬である。チューレンは、アーユルヴェーダ医学におけるラサヤナにあたる。チベット医学、そしてその土台になったアーユルヴェーダ医学の理論によると、摂取された食物は、七段階の精製プロセスを経て、生命の活力ないしそのエッセンス(「ダンワ」「オージャス」)になる。その過程で生じる不要な物質を、スムースに体外に排泄し、その一方では、生命のエッセンスを増大させることが、健康と長寿にとってたいへん重要だと考えられている。チューレン薬は、特に生命のエッセンスを増大させるために用いられる。ヒマラヤで産出される鉱物やチベット高原の花々などを素材とし、さまざまな種類がある。
チューレン薬は、寿命や健康のためでなく、瞑想修行の中でも用いられることがある。特殊な瞑想の隠棲に入った修行者は、食を断ち、丸薬と水だけで、何か月も過ごすことができるようになる。
瞑想は、何故健康や長寿につながるのか? 瞑想の種類によって異なる説明が行われる。
心の本質にとどまる三昧の場合、心の根源にある法界の空間から、さまざまな思考や感覚が湧き起こっては、解き放たれ、消え去って行く。ところで、これらの感覚や思考は、微細な生命エネルギーである「風」の運動とじかに結びついている。そのため、三昧にとどまることによって、全身をめぐる異なる種類の「風」の不調和は解消され、全体的な調和が達成される。そのことによって健康や長寿がもたらされるのだとされる。
これにたいして、長寿の修行は、別の異なる原理にもとづいている。密教の考え方によると、先ほど述べた生命のエッセンスは、究極において、異なる色の光の原質にいきつく。観想の力によって、光り輝く生命のエッセンスを集め、生命エネルギーのバランスをとり、強化するのである。
瞑想の中で、もう1つ重要なのは、本尊の修行だ。特に、病の原因が精霊や悪霊である場合、それぞれに対応する本尊の修行を行なうことがある。たとえば癌の場合、馬頭観音やガルーダの修行を行なう。
医学と密教のインターフェースとして重要なのは、マントラによる治療だ。「ナクポ・ベーシ」「ドルジェ・コタプ」(「金剛の鎧」)といった病全般に用いられるマントラや、あるいは個々の病――たとえば尿道結石――に特化したマントラなど、主にインドから輸入された無数のマントラが、治療に用いられる。これらのマントラは、そのヴァイブレーションをつうじて、脈管、風、精滴からできあがっている微細身を調整する。そのことによって病を克服することを可能にすると考えられているのである。
参考文献
Hum chen lce nag tshangs(ed.), sNgags bcos be’u bum phyogs bsgrigs,Mi rigs dpe skrun khang, 2006
永沢哲「惑星的思考」(『スピリチュアリティと宗教』鎌田東二編、BNP出版、2016年)