本シリーズはミャンマー語で書かれた在家仏教徒のための仏教の基礎知識集です。上級レベルの刊行を記念し、基礎レベルの冒頭第1章「仏教徒の日常の勤め」を掲載します。
仏教徒は毎日の宗教的な勤めを必須の責務として勤勉にこなす必要があります。「仏教徒」の意味を詳しく調べると次のようになります。「ブッダ」という言葉は、サンサーラ〔saṃsāra:輪廻〕の中での幾多の生存においてダーナ〔dāna:布施〕やシーラ〔sīla:戒律〕など覚りを開くために完成すべき徳目〔Pāramī:波羅蜜〕を成就し、菩提樹の根元で4つの聖なる真理を独力で覚られた至高の覚者を意味します。
仏教はブッダが覚りを開かれてからの45年間、人間、神々、梵天など全ての生命のために説かれた教えです。「仏教徒というのはブッダ〔Buddha〕、ダンマ〔Dhamma〕、サンガ〔Saṃgha〕に帰依し、ブッダの教えに従って実践する人のことです」。
仏教徒は名前だけの仏教徒であってはいけません。ブッダの教えを実践し生活しなければなりません。そうして初めて本当の仏教徒になれます。人間として生まれるのは実に大変なことです。布施、持戒、冥想などの功徳業を実践出来るのは人間だけです。4つの悲惨な生存世界〔四悪趣: 動物、餓鬼、阿修羅、地獄〕においてはこうした徳のある行為を行なうことが出来ません。なぜなら四六時中悲惨な状況に苦しまなければならないからです。神々や梵天たちも徳のある行為を行なうのは簡単ではありません。五感による快楽と禅定の至福に浸っているからです。人間の生活には官能的快楽と悲惨な状況〔楽受と苦受〕が混在しています。そのため人間は修行しようという気持ちが起こりやすく、輪廻〔Saṃsāra〕と呼ばれる苦しみの渦から逃れることが出来るのです。今私たちは人間として生まれブッダの教えを学び、実践し、悟る、またとない機会に恵まれています。ですから本当の仏教徒になれるように真摯に努力を重ねるべきです。
本当の仏教徒になるにあたり、以下の宗教的な日常の勤めを信念と智慧と共に行なわなければなりません。
❶ ブッダに礼拝すること
❷ 戒律を守ること
❸ 布施すること
❹ 慈しみの心を育てること
❺ ブッダの教えが長く続くように、そして広まるように努力すること
❻ 静寂の冥想〔サマタ修習〕と洞察の冥想〔ヴィパッサナー修習〕によりマインドフルネス〔気づき〕を実践すること
❼ 功徳を回向すること
❶ ブッダに礼拝することとは、5つの身体の部分〔額、両手、両膝〕を地面につけて尊敬合掌して礼拝〔Pañcapatiṭṭhita〕し、ブッダ、ダンマ、サンガの三宝の徳を念じて唱えることを意味します。
❷ 戒律を守ることとは在家信者のための5つないし8つの戒律を守って道徳的で善良な生活を送ることを意味します。
❸ 布施することとは、正しい意思によりブッダないしふさわしい人に何かを提供することを意味します。托鉢の食事、きれいな水、花、香り、線香、灯明をブッダないしサンガのメンバーに提供することもこの布施という行ないに含まれます。
❹ 慈しみの心を育てることとは、全ての生命に向けた慈しみ、メッター〔Mettā〕を育て、送ることを意味します。
❺ ブッダの教えが長く続くように、そして広まるように努力することとは、自分自身と他の人々がブッダの教えにゆるぎない信を抱くようにすることを意味します。それにより、徳を欠いた悪行為を避け、徳のある善行為を行なうことが出来るようになります。仏教徒の集会に参加したり、パリヤッティサーサナー〔Pariyattisāsanā =ブッダの教えを学ぶこと〕やパティパッティサーサナー〔Paṭipattisāsanā =ブッダの教えを実践すること〕を支えたり、布施をしたり、仏教についての本を配ったり、家族、近所の人たち、地域の人たちと仏教について話し合ったりするのはこの尊い仕事に含まれます。
❻ 静寂の冥想と洞察の冥想によりマインドフルネスを実践することとは、実体のある自分が存在するという誤った見解を克服し、自分自身の心と物質を観察することを意味します。永続せず、苦しみで、魂などではないという心と物質の性質について冥想します。
❼ 功徳を回向することとは、自分が行なった布施、戒律、冥想という徳のある行為を他の生命と分かち合うことです。「全ての生命が私と同じように私が行なった徳のある行為の利益を得ることができますように」と唱えます。