去る2020年7月21日に、弊社代表取締役島影透が63歳で急逝いたしました。
亡くなる前日の20日は月曜日でした。週明けでしたので、13時より、仙台本社と東京の社員をZoomでつなぎビデオ会議をしている最中に、仙台本社にいた島影が、突然、意識を失いました。同じ部屋にいた社員がすぐに気づき、救急車を呼び救命措置を施しましたが、病院に運ばれたときには重篤な状況でした。そして、翌21日11時25分、息を引き取りました。死因は心筋症という診断を受けております。
あまりに突然の出来事ではございますが、『サンガジャパン』をご愛読いただいている皆様へ、生前のご厚情に感謝申し上げますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。
葬儀は7月27日13時より、本社所在地である仙台で執り行われました。
アルボムッレ・スマナサーラ長老が東京よりお越しくださり、追悼の法話とお経をあげていただきました。スマナサーラ長老に感謝と畏敬の念を表すとともに、胸にしみわたる法話を、ぜひ読者の皆様にも紹介したいと考え、ここに全文を掲載いたします。
『サンガジャパン』編集部
日本におおもとの仏教を知らしめた功績
我々、仏教の僧侶たちは、人が亡くなることには毎日のようにかかわりますので、人が亡くなることはごく普通の出来事になっています。
しかし、「島影透さんが亡くなった」という知らせを聞いて、珍しく私の頭が止まってしまいました。自分でも「え、何だこれは?」と、びっくりしたんですね。
それで分かったのは、いかに島影透さんが仏教の活動について助けになっていたか、どれほど協力的で支えてくれていたのか、ということです。島影さんのあの力、あの活発性、あの働きぶり。若い子に対する言葉で言えばあの“やんちゃぶり”ですね。あれがなければ、日本の皆様方は初期仏教のことは知らないとは思います。
西洋知識、教育が日本に来てから、もう150~200年あたりになります。日本のとっても偉い先生方は、仏教のおおもとを日本人に知らせてあげようと、ものすごく頑張ったのです。国際的に学者たちが参考にしたり、勉強するような、立派な論文を出されて、膨大な研究をされてね。私もスリランカで勉強しているとき、パーリ経典に関してけっこう日本の先生方の名前を聞いたことがありましたし、ちらちらと英語で参考にしてみたりもしていました。
世代的に、私たちの先輩ではなくて、「先生たちの、先生たちの、先生たち」ですね。そういう大物の方々の努力があっても、日本では、おおもとの仏教については一般的には誰も「え?」という感じでいたんですね。いろいろな宗派に分かれた仏教ということは、みんななんとなく知っています。日本人の日常、生き方の中にも、仏教的な生き方はものすごく密接に一体になっているんです。そして、日本人たちがやっているいろいろなことについて、「これは何ですか?」と聞くと、やっている本人も分からないのですが、おおもとをたどれば仏教の考え、仏教の価値観なんだ、ということだったのです。
そして、世界にある唯一の、すごい完璧な、平和な仏教のおおもと、いわゆる釈迦牟尼仏陀が、何を直々に説かれたのかということを日本人の心に訴えることができたのは、島影さんのおかげなんです。
私は島影さんとは、かなり前から仲良くしていました。まあ、仲良くといってもよく喧嘩しました。私のことをどう思っていたか、よく分かりませんね。何か言って私を馬鹿にしようとするので、こちらもものすごく愛情が生まれるんです。私にしても、何か仕事ですごくストレスが溜まっちゃうと島影さんに何か言うんです。言うと島影さんがゲラッと笑うから、それで私のストレスも全部なくなってね。一度たりとも「なんだって、そんな失礼なことを言うのか」と言われたことはないんです。ですから、不思議な関係なんですね。
島影さんは、やんちゃはやんちゃなんですけど、真面目に瞑想もします。ものすごくしっかりと瞑想のやり方を学んだりもする。個人的な面接を受けたことも、時々、かなりの日にち、ずっと付きっきりでやったりもしました。どこかやんちゃなところがあるから、たまらない人でしたね。
どうして島影さんが人間で生まれたのか、私はずっと考えてみましたが、やっぱり使命があったんですね。すごい偉大なる、聖なる使命があったんです。
日本人はもともと、すごく優しい人間なんです。日本人にとっては、言われてはなくても「思いやり」というのは一般的なことなのです。今、新型コロナウイルスの影響で隔離的に生活していますけど、日本人は人の面倒を見たいのです。人が「助けて」と、もう、言う前に助けてあげる国民なんです。世界的に見れば、世界のリーダー格を取れるぐらいのものすごく素晴らしい性格を持っているのです。しかし、何一つ表に出ないんです。生まれる前に流産するようなものです。それ、すごく悲しいんですよ。すごく良い性格を持って日本人として生まれても、その性格を実らせることもできないというね。みんなに笑われて、からかわれて終わっちゃうんですね。私はずっとこの悪口を言っていましたけど、「日本は世界のリーダーシップを取るべきだ。そういう資格はしっかりあるんだ」と思っています。一つは、この優しさと思いやり。自分が上に立って、下の目線で見下して世界を見ないんです。そういう民族は、少ないんです。だから、その日本の社会に太陽が現れるためには、やっぱりブッダの教えが必要なんです。なぜならば、日本社会は仏教の教えが組み立てたものだからです。
私は日本の歴史を知りませんけど、皆様に言う必要はないんです。日本にしっかりした歴史が始まると同時に仏教も入ってきて、もう仏教と一緒になって発展したんです。日本には土着宗教があるんです。あるんだけど、日本の発展を、開発を、ずっと支えていたのは仏教なんですね。その中で世界的には禅宗のことは知られていたんですけど、まあ禅宗は坐禅だけ説くのだから、何か特定の変人ばかり集めればいいやということで、ヨーロッパとかでは人気があります。変人というのは悪い意味ではなくて、何かちょっと変なことを、変わったことをやりたい人は禅寺に入って修行したりするんです。でも、仏教はそういう変わった人の集まりではないんです。仏教は、人類にどう生きるべきかを、全体的にすべて教えるのです。
政治家がどうするべきか、家の奥さんがどうやって家庭を守るべきか、男たちがどうやって家族を守るべきか、どうやって仕事をするべきか。自分が雇われているならば、どうやって自分の仕事をするのか。島影さんみたいな社長格になったら、部下に対してどのようにアプローチするべきか、すべて教えているんです。だから膨大な教えがあるんです。それから真理を語っているんです。
アビダルマの書を世に送り出す
サンガ出版で、アビダルマ、仏教心理学をまとめた『ブッダの実践心理学』というシリーズを全8巻(7冊)で発表していますが、それを出す前に私は島影さんに言ったんですよ。私がしゃべった言葉のままですけど「赤字になりますよ、これって売れるわけないよ」と。そして「あなたが困るのはいやだ」とね。だってあれほどの本ですから赤字になったら、どうやって社員の面倒を見るんですかね?しかし、島影さんは「ああ、いい」。ひと言で「赤字になってもいい、これ出したい」と。
そう言っても、恐らく本人は、そんなに内容を分かっていないと思いますよ。けっこう難しいですから。でも、「出版したいのだから、本を作ろう。みんな、書いてください」と偉そうなことを言うんです。そこで膨大な量ですけど、博士号を持っている僧侶の藤本晃さんの協力を得て、文章を作成して膨大な量を8巻(7冊)にまとめたんです。
そこで出した仏教心理学は、この世界にそれまでなかったものです。ですから島影さんの使命が、日本人に、命より、呼吸よりも必要なこの生き方の真幹を紹介することではなかったかと私は思うのです。だから島影さんが亡くなったことは、私にとっては体を半分に切って右を捨てたような感じなんです。だから今もすごい手が切られたような感じでいるんです。これからどうやって我々は一般の方々にブッダの教えを教えるのか、と。
伝統的な既成宗教の方々は、我々がもう一つの宗教を作ってしまって何か攻撃しているんだと誤解していますが、そうではないのです。我々は「すべての宗派仏教のおおもとはこれである、それは理解してください」と言うのです。「もともとの仏教はものすごい精密な科学だよ。微塵も信仰とか迷信とかまったくないんだよ」と。それは、教えるのは難しいのですが、そこは島影さんの協力でね。もういろいろなところで私が話す内容を見て「あ、これは本にしましょう」「あれは本にします」と島影さんが決めるんです。だから結局は、人の言うことを聞かない性格で生まれた私も、島影さんにはかなりやらされましたよ。あれやこれや、もういろいろなことをやらせるんです。
大胆な発想で、みんなを統率
素晴らしいのは、島影さんのあのやんちゃな性格。あの性格はものすごくありがたいんですよ。それでいろいろなことを考えるんですね。みんなから「何をするんですか」と怒られることをけっこう考えるんです。考えている裏には、「いかにブッダの教えを皆に知らせようか」ということしかないんです。
例えばいろいろな国々に旅行して、もうそれはものすごく苦労して精密にデータを取って、それで発表する。インドで、各聖地に行って全部データを取って、日本テーラワーダ仏教協会の佐藤哲朗さんとか、みんなの協力を得て出版する。日本でも瞑想できるのに、あらゆる方法で「じゃあ、スリランカで瞑想の実践会やりましょう」とか、いろいろなことを考えちゃうんですね。「突然、何をやるの?」と、みんなに言われるんです。ですが、結局はそれによって良い結果しか得られなかった。悪い結果は一つもなかったんです。
もしかすると、娘さん2人と奥様は「もう何だ、迷惑ばっかりだ、この人は」と思ったかもしれませんね。家族に対しては甘える一方でね。しかし社会に対してはとてもリーダーシップを発揮して、ものすごく優しく、みんなの愛情を買って、びっくりするほど立派な社長ですね。だからそれは全然問題ないのです。
毎日、善行為をして生きる
命というのは、風が吹いているところにつけたろうそくのようなものなんです。風がずっと吹いているんだから、そこらへんでろうそくを立てても、いつ消えるか分からないんです。
私はもうそろそろ亡くなりますけど、島影さんに、「いろいろ遺体の面倒みなさい」と頼みたかったんです。そこで先に逝っちゃったんだからね。私に何か迷惑をかけるのが好きだから、まあそれはしょうがないんですけど。でもだいたい人生というのは、そうやって使命を持って生まれた方々は、この使命を、ある程度で充分完成しました、というところで、この苦しい世界から出て行くんですよ。誰だって亡くなるときは病気になって心臓が止まったり、何か事故を起こしますよ。でなければ、死にません。それは、ほんのわずかなちょっとした時間で身体が壊れて亡くなったんですね。
だから、自分がなぜ生まれてきたのかという、その使命を、使命というか義務をね、充分果たしたと思います。ですからここで島影さんのあれこれと言う必要はなくて、私たちはろうそくの炎のように生きているんだから、いつ、風でそっと飛ばされるか分からないんだから、ちょっとの時間で、よく輝いて周りに灯りをあげて生活しなくちゃいけないんですよ。だから自分の1日は周りの役に立っていないと意味がないんです。だから、お釈迦様がおっしゃったように毎日善行為をするということなんです。
善行為というのは、自分の心が清らかになる、それから周りにすごい役に立つ行為のことです。普通、人間というのは何かあったら文句を言うんですね。で、文句を言うのはわがままなんです。だから文句を言って生きることはギリギリまでやめて、自分がやらなくちゃいけないことをやってあげる。相手が感謝しようが、感謝しまいが、批判するか、文句を言うか、別にそれはいいのです。
ごはんを作る人は、ごはんを作ってあげたら、食べる人が「あまりおいしくないね」と言ったとしても「まあまあ、そうですね」ということで「なんでそんなことを言うのか」と怒るのではなくてね。「すいませんね」とか「私は充分腕を振るったつもりですけど」とか、そこは冗談で受け取って、我々は他人に役に立つ生活をしなくてはいけないんです。
ブッダの教えを広める使命をもって
島影さんのお姉様が、先ほどずいぶん感動的なことをお話しされましたけど、お姉さんだからね。きょうだいというのは、喧嘩しなきゃきょうだいじゃないからね。家族と、いろいろあるその流れの中でも、本人がやっぱり自分に決めた道があるということは着々と、じわじわと分かって、どんどんと、あの偉大なる人類に二度と現れないブッダの教えを、自分が生まれてきたこの日本社会でみんなに紹介しようと頑張って、そのためにサンガ出版を作って。
出版社を作る前に私に相談しましたけどね。私は、「出版というのはね、出版社はいっぱいあるんだから、あんたに何かできるわけないでしょう」と思って、「商売にならん」と言ったんだけど、島影さんは「いえ、それは考えていないんだ」と。「いろいろな出版社があるんだけど、私は父親への恩返しとしてもブッダの教えを広めたいんだ。ブッダの教えをみんなに知らせたいのが私の気持ちだ」と。その瞬間、私は「あ、この人はただの人間じゃないんだ。特別な人間、特別な義務があって生まれている人だ」と思ったのです。
運命的な道に入るまでは、いろいろなことをするんですよ。道を発見するまでいろいろなことをトライ&エラーでやっていて、「あ、この道、見つけた」というところで、しっかりした、立派な人間として、人間の中の偉大なる人間として生きることができるんですね。だから、あんなに短い時間で日本でよく認められるまでに、どちらでも「サンガ出版」と言ったら誰でも「ああ、そうですか」という感じの会社にしたんですよ。
最初は本当にみじめで、ものすごく苦労したんです。本を出して、いろいろ、日本各地を回って、本屋さんにお願いして本を入れてもらったりとかね。そんなに楽な道ではなかったんです。いろいろな苦労をして、まあ、今では「サンガ」と言えばどんな本を出す出版社か、日本で知られているし、もう「サンガ」ということだったら内容は信頼できる、と。だから買う人は何の躊躇もなく買って、役に立つデータ、内容が得られるようになりましたし。
そういうことで、日本に初期仏教のことを広めることに貢献したのは、もう6割、7割くらいこの人が貢献をしたんです。
私はただ専門家でガチャガチャとしゃべるだけで、ほかは何もやっていないんです。瞑想もそれなりに教えているけれど、そんなに力がある人間ではないんです。ま、口うるさいだけなんですね。しかし、島影さんはこの社会でそれをどうやって広げるべきかと、いろいろ計画を立てて右腕のように、私にすごく協力してくれたんです。
ですから、しゃべることは何もないんです。私も本気で、もう悲しいんです。というか、すごい損なんです。損といっても、個人的な損じゃないんです。仏教活動にけっこうなダメージなんですね。自分の国では仏教のそうした問題はありませんが、やっぱり日本人にとっては仏教を知ることができるチャンスに、かなりの穴が開いてしまったんです。
旅人のように明るく生きる
家族の3人と他のきょうだいなどは寂しいかもしれませんが、すぐそれ(悲しみ)は何とかしてください。悲しくなる必要は一切ないんです。家ではすごい甘えん坊で、独裁者みたいな感じでいたかもしれませんが、まあそれは家族だからね。日本の国にものすごく大事な貢献をした人なんです。だから、島影さんが役に立つ、立派な人間であったということを理解して、私たちもできるだけこの短い人生で、いつ、風が吹いてこの炎が消えるか分からないんだから、その間にみんなの役に立つように生活して明るく、気楽に生きていなくてはいけないんです。
執着はよくないんですね。全部捨てなくてはいけないんです。だから、旅人のような感じで生活しなくてはいけないのです。
私たちは、だいたい葬式などでは、亡くなった方よりも、皆様に説法するんですよ。まあ、そういうことで、時間もないのでテーラワーダ仏教の方々も半分以上いらっしゃいますから、「慈悲の瞑想」をして回向しましょう。
では、始まります。ご一緒にお願いします。
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
はい、では私は功徳を回向するお経を上げます。
Idaṃ me ñātīnaṃ hotu, sukhitā hontu ñātayo
Idaṃ no ñātīnaṃ hotu, sukhitā hontu ñātayo
Idaṃ no ñātīnaṃ hotu, sukhitā hontu ñātayo
Yathā vārivahā pūrā, paripūrenti sāgaraṃ
Evameva ito dinnaṃ, petānaṃ upakappati.
Unname udakaṃ vuṭṭhaṃ, yathā ninnaṃ pavattati
Evameva ito dinnaṃ, petānaṃ upakappati.
Icchitaṃ patthitaṃ tuyhaṃ, sabbameva samijjhatu
Pūrentu cittasaṅkappā, maṇi jotiraso yathā
Icchitaṃ patthitaṃ tuyhaṃ, khippameva samijjhatu
sabbe pūrentu cittasaṅkappā, cando pannarasī yathā.
では、ありがとうございます。
皆様にも三宝のご加護がありますように。これから心清らかな生き方ができますようにと誓願いたします。
ありがとうございます。
(2020年7月27日)
◎この法話はサンガ公式youtubeチャンネルで動画をご覧いただくことができます。