十回忌に考える、スティーブ・ジョブズとアメリカの禅は、今ここ:藤田一照x柳田由紀子対談

 1975年、いまだ田園風景が残るシリコンバレーで、破れたジーンズに裸足の青年が小さな禅堂の扉を叩いた。スティーブ・ジョブズ。彼はいかに禅と出逢い、その真髄を血肉としたのか? 10月5日はジョブズの十回忌。大統領のコロナ感染、暴動、未曾有の山火事——混沌とするアメリカと禅の現在を、ジョブズ、10回目の命日によせて、当代一の人気僧侶、藤田一照と「ジョブズの禅僧」の伝記作家、柳田由紀子が語り尽くす。
1991年、ジョブズの結婚式は禅式で行われた。式師をつとめたのは、生涯、師と慕った禅僧、乙川弘文だった。映画「Steve Jobs: The Man in the Machine」(2015年)より。


スティーブ・ジョブズ、乙川弘文、鈴木俊隆

藤田一照(以下:藤田) アメリカに禅を伝えたパイオニア、鈴木俊隆しゅんりゅう老師の評伝、『まがったキュウリ──鈴木俊隆の生涯と禅の教え』が昨年暮れに翻訳出版されて、今度は、その鈴木老師がアメリカに招いた乙川弘文こうぶんさんの伝記、『宿無し弘文──スティーブ・ジョブズの禅僧』が柳田さんによって書かれて、この秋は、ジョブズの10回目の命日を迎える。何かとても縁を感じます。柳田さん、8年がかりで粘り強い聞き取りをされましたね。『宿無し弘文』は、構成も文章もよくてすごく読ませる本。僕のまわりでも一気に読んだっていう人が多いですよ。

柳田 お褒めの言葉、遠慮せずにちょうだいします。というのも、永平寺の貫首かんしゅをされていた故宮崎奕保えきほ禅師が、「道元禅師様は54歳で遷化された。人間、ある程度の歳になったらおだてにも乗ってみるものだ」とおっしゃったそうで。私も最近、バンバンおだてに乗ることにしてる(笑)。

藤田 うまいこと言う(笑)。

鈴木俊隆(右)と乙川弘文(左)。カリフォルニア州奥地のタサハラ禅マウンテンセンターで、68年頃。2人はともに、道元を開祖とする曹洞宗の僧侶だった。photo ©San Francisco Zen Center

鈴木俊隆|SHUNRYU SUZUKI(右)
1904年、神奈川生まれ。曹洞の大学(現駒澤大学)を卒業後、大本山永平寺、總持寺で修行。59年、曹洞宗から派遣されサンフランシスコ桑港寺に赴任。62年、サンフランシスコ禅センター創設。66年、シリコンバレーに俳句禅堂開堂。67年、同州タサハラ禅マウンテンセンター創建。70年、法話集『禅マインド ビギナーズ・マインド』をアメリカで刊行。71年、サンフランシスコにて逝去。

乙川弘文|KOBUN OTOGAWA(左)
1938年、新潟生まれ。駒澤大学、京都大学大学院で仏教学を修めた後、永平寺に上山。67年、鈴木俊隆の招聘で渡米。タサハラ禅マウンテンセンターの開創を手伝う。70年、鈴木から俳句禅堂を引き継ぎ、5年後、若きスティーブ・ジョブズと出逢う。83年、シリコンバレーの奥座敷に慈光寺開創。全米各地のほかヨーロッパでも布教し、ゆかりの寺や禅堂が欧米に点在する。結婚は2度、腹違いの子どもが5人。2002年、スイスにて5歳の娘とともに不慮の死を遂げる。

『宿無し弘文──スティーブ・ジョブズの禅僧』(柳田由紀子著/集英社インターナショナル刊)。ジョブズの隣にはいつもこの男がいた――乙川弘文。2人の交流は、弘文が謎の死を遂げるまでの30年間続いた。弘文は何をジョブズに伝えたのか? 関係者への徹底聞き取りが浮き彫りにする、心に血を流しながらも利他に生きた「ジョブズの禅僧」の生涯。

柳田 一照さんは、弘文さんに逢われているんですよね? うらやましいです。私が師の存在を知ったのは逝去後だったので。

藤田 僕は1987年に渡米、18年間アメリカで布教しました。その間に、北米曹洞宗開教師会が幾度か開催されて、弘文さんとはそこで初めてお逢いしました。93年、場所はヨセミテ国立公園。

柳田 弘文さんが55歳の頃ですね。どういう印象でしたか?

藤田 好々爺風でしたが、ちょっとつかみどころがないというか、この人を知るには、長くつき合わないとむずかしいだろうなと感じた記憶があります。

93年、北米曹洞宗開教師会が開かれたヨセミテ国立公園にて。前列左端、乙川弘文、後列右端に藤田一照師。Photo ©Issho Fujita
柳田 弘文を、「寡黙でいつもにこにこした、雲のような人」と形容する人は多いですね。

藤田 はい、そんな感じ。それで、ヨセミテの会議後、何人かで弘文さんの家に寄ったんです。シリコンバレーの高級住宅街で、スティーブ・ジョブズの持ち物だと言っていました。

柳田 ああ、それなら別名「ジャックリング邸」。トイレが14室もある豪邸だったでしょう?

藤田 トイレの数は知らないけれど(笑)、確かに大きなお屋敷でした。僕らは弘文さんの部屋で話しましたが、「自分はこの部屋があれば充分」っておっしゃっていましたね。

柳田 無欲な弘文さんらしい。あの家には、ジョブズに懇願されて住むようになったようです。ジョブズは、多くの弟子から弘文を引き離してひとり占めしたかったのでしょう。

一照師が訪ねた豪邸で同居するジョブズと弘文を描いた場面。アメリカンコミック、『ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ』(ケレイブ・メルビー原作、ジェス3作画、柳田由紀子訳/集英社インターナショナル刊)より。

柳田 それにしても驚くべきは、55歳と年配になって初渡米した鈴木老師の活動期間が、逝去されるまでのわずか12年間だったということ。この間に、北米初の本格的修行道場、「タサハラ禅マウンテンセンター」の創設、今や欧米で禅のバイブルといわれる『禅マインド ビギナーズ・マインド』の出版、後にジョブズが弘文と出逢った「俳句禅堂」の開堂と、アメリカ禅のエポックメーキングな事柄を次々と成し遂げています。

藤田 鈴木老師の活躍ももちろんですが、弟子たちもすごい。禅をベースに新しい社会、文化を作っていくんだという気概や能力を持った人が集まっていたんでしょうね。

柳田 タサハラはまさに深山幽谷。そこに、禅堂をはじめ数々の日本風建築物を自分たちの手で建てて。初めて訪ねた時、よくぞこんな山奥にこんな見事なものをと、肝を抜かれました。あそこには、ジョブズも行ったそうですよ。境内によい温泉が湧いてますでしょ。まだ無名時代のジョブズと一緒に行った人が、「坐禅して、精進料理を食べて、温泉につかったけど、2人とも金がなかったから泊まれなかった」と語っていました。「ジョブズは裸で入ったの?」と訊いたら、「もちろん。スティーブは温泉好きなんだよ」。

「ナトリウム・カリウム・カルシウム─硫酸塩・炭酸水素塩」が湧くタサハラ禅マウンテンセンター。メタケイ酸をたっぷり含んでいるので美肌効果あり。スティーブ・ジョブズも温泉を堪能したという。https://www.sfzc.org/practice-centers/tassajara photo ©Yukiko Yanagida
藤田 弘文さんは、タサハラが軌道に乗ると、その後、俳句禅堂に移ったのですね?

柳田 ええ。俳句禅堂は、66年、鈴木老師の信者が自宅ガレージを改造したもので、五七五の俳句と同じ17席しかないことからそう名づけられた。当初は、老師が他の坐禅会とかけ持ちで指導していたのですが、やはり専属の僧侶が必要になって弘文さんが引き継いだんです。

 住宅自体は、ジョブズがアップルを創業した伝説のガレージがある実家同様、あの辺りによくある中流向けの平屋。しかし、今となってはシリコンバレーのど真ん中ですから、億は下らない価格と思いますが。

 禅堂と弘文さんの自宅はごく近くて、歩いて3分ぐらい。この家に、弘文に心酔したジョブズが入りびたって「夜中に奥さんに追い出された」と、本人が、世界的ベストセラー『スティーブ・ジョブズ』(ウォルター・アイザックソン著/Simon & Schuster刊)で語っています。俳句禅堂の写真を見ると、想像していたよりきちんと禅堂らしく仕上がっていて、みんなの熱意に驚きました。

66年頃の俳句禅堂。左が鈴木俊隆。若く無名だったジョブズは、75年、自宅近くの俳句禅堂に通い始め、鈴木から禅堂を引き継いだ弘文と運命的に出逢う。『禅マインド ビギナーズ・マインド』は、ここでの鈴木の法話を収めた一冊。photo ©San Francisco Zen Center
 この禅堂に、弘文さんが運営し始めてから約5年後、大学を中退したジョブズが通い出すわけです。彼は大学時代、『禅マインド ビギナーズ・マインド』を愛読していました。当時の参禅者たちによると、メンバーが年々増えて17席では間にあわず、床にも坐蒲を敷いて坐禅したそうです。ただし、ジョブズは他の人たちとは距離を置いていて、とにかく弘文狙い(笑)。「感じの悪いヤツ」というのが、当時の彼を知る人々の感想でしたね。
元俳句禅堂の今。現在は一般住居になっている。photo ©Yukiko Yanagida
元俳句禅堂、現在の内部。ジョブズがアップルを創業した伝説のガレージからは、車で約10分、徒歩1時間ほどの距離。photo ©Yukiko Yanagida

クールじゃん、グッとくるじゃん、『禅マインド ビギナーズ・マインド』

柳田 私、『禅マインド ビギナーズ・マインド』をはじめて読んだ時、難解でまいりました。あるアメリカ人に「私にはわからない」と正直に言うと、「なんで? クールじゃん! 完璧にグッとくるじゃん」と言われてますますあせった(笑)。この人は、学生時代にジョブズとインド放浪の旅に出た人でしたが。

藤田 どこがわからなかったですか?

柳田 たとえば、こんな文章があります。「悟りを得たとき道元はいいました。『身体もない心もない!』。その瞬間に彼のすべての存在は、広大な現象の世界の閃光となりました」。これ、わからないですよ、なかなか。

藤田 そのわからないところに、禅の妙味があるんだけどね。だからあとは、実際に坐禅するしかない。鈴木老師は、道元の言葉を踏まえて、アメリカ人にも伝わる何気ない表現をするのが見事。彼のこのひと言が、道元さんの『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』のあの箇所とリンクしてるんだ!という発見があります。

 とはいえ、言葉だけでは互いに腑に落ちないから、師弟が一緒に飯を食い、一緒に悩んで……タサハラみたいな24時間体制のオーガニックな関わりがどうしても必要になる。鈴木老師も弘文さんも、日本ではなかなかできない親密な修行者の集まりをアメリカの地で築かれました。今は、「密」は悪ってことになっているけど(笑)。

柳田 一照さんが訳された『禅マインド ビギナーズ・マインド2』のなかで──これも鈴木老師の法話集ですが──「アメリカ文化は自己の向上という考えに基づいているが、仏教者は向上という考えに固執しない」と、師は語っています。禅を伝える時、対象が日本人とアメリカ人ではかなり違いますか?

藤田 鈴木老師の法話に、「スモール・マインド」と「ビッグ・マインド」という表現があります。僕らは、スモール・マインド・モードになっているわけですよ。本来の心、ビッグ・マインドじゃなくてね。特に、アメリカ人は、スモール・マインドをむき出しで生きているところがある。スモール・マインドで世界を理解し、幸せになろうとし、禅をものにしたいと思って熱心に坐禅する。そういう人たちに、ビッグ・マインドに目覚めないことには修行にならないよってことをどう伝えるか。アメリカに禅を伝える時に、常につきまとう大きなチャレンジです。

『禅マインド ビギナーズ・マインド』(鈴木俊隆著、松永太郎訳/サンガ刊)は、70年にアメリカで刊行されて以来、世界数カ国で翻訳出版され続けているロングセラー。ジョブズの愛読書だった。

「これが悟りの証拠だ」とジョブズは言った

藤田 スモール・マインド、僕は、弘文さんに遭遇する前のジョブズさんって、その典型だったんじゃないかと思ったりするんだけど。

柳田 弘文さんが、名前は出さないものの、明らかにジョブズについて語っている法話ビデオがありましてね。破れたジーンズに裸足のジョブズが真夜中にやって来て、「悟りを得た!」と。「じゃあ、証拠を見せてくれ」と弘文さんが返すと、「これだ」と金属板を差し出した。それは、今から考えると、後に「アップル」の基板になったものなのですが、「あれが悟りの証拠と言えるのかなあ?」と、弘文が笑って話している、そんなビデオです。

藤田 なるほどねえ(笑)。スモール・マインドのジョブズにとって、自分の能力でははかりきれない何かわからないものが常に弘文さんから匂ってくる。なんとかわかるものとして納得したいんだけど、わからなさのスケールが弘文さんの場合すごかったので、どんどん惹きつけられたんでしょう。でも、わからないことに対して初心、ビギナーズ・マインド、うぶであり続けるのが禅の大事なところなんですよ。

柳田 初心については、ジョブズも95年に「WIRED」誌のインタビューで、「仏教に『初心』という言葉があるが、まさに『初心忘るべからず』だ」と語っています。初期のパーソナル・コンピュータ業界に活気があったのは、専門家ではなく、無限の可能性を秘めたズブの素人、初心者たちが創出したものだったからという文脈で。

藤田 へえ、さすがジョブズだな。初心のドキドキ、ワクワクする感覚が大事だってわかってる。ブッダも瞑想や苦行を徹底的にやって、周囲が誉めそやすレベルにまで達したけど、そういう既成の方法に退屈したにちがいないんですよ。それで、習った方法を放棄して菩提樹の下に初心で坐った。目標を目指して歯を喰いしばるんじゃなく、未知の世界にワクワクして坐っていたと、僕は思いますね。

柳田 先ほど一照さんは、ジョブズは、弘文さんのわからなさに惹かれたのではとおっしゃいましたけれど、ジョブズって、養父母がキリスト教ルター派なんですね。うちはアメリカ人の夫がルター派だからよくわかるというか、いつも私は困っているのですが(笑)、ものすごくかたいんです、潔癖な宗派。神は、常に絶対で人間を見下ろす存在。神と人がピーンと垂直関係にある。

 で、そのルター派を、ジョブズは弱冠13歳で自ら棄教しているんですね。一方、道元禅は、『即心是仏(そくしんぜぶつ)』、人には生まれながらに仏性が備わっていると説きますでしょ。これを聞いた時にジョブズが感じた解放感、衝撃はすさまじかったと思います。

 ほかに、彼が弘文にのめり込んだ理由として、弘文が大学や大学院で「唯識(ゆいしき)」をたっぷり研究したこともあったんじゃないでしょうか。ジョブズは、生まれてすぐに養子に出されたことに苛まされ続けた。だから、ありとあらゆる方法で精神世界を探求し、激しく自分探しを続けた。そういう彼に弘文は、人にとっての世界とはその個人のイメージにすぎないという唯識論を、知的に語ることができました。なんといっても、京大の修士論文は「転依(てんね、āśraya-parāvṛtti)」、人格の根本転回ですから。これは惹かれますよ。

『禅マインド ビギナーズ・マインド2』(鈴木俊隆著、藤田一照訳、サンガ刊)。原題は『not always so(必ずしもそうであるとは限らない)』。曹洞禅のキーワード、「何必(かひつ)」に由来する。

スクラップ&ビルドするアメリカの禅

藤田 鈴木老師と弘文さん、2人はまったく違うタイプという印象ですね。鈴木老師が、曹洞禅の伝統を重んじる正統派とするなら、弘文さんのほうはもっと自由というか、伝統の枠を逸脱しながら本当にきわどいところで禅を生き続けた。鈴木老師がクラシックなら、弘文さんはジャズかな。

柳田 けっこうパンクも入っているんじゃないですか? ですから、お弟子さんのタイプもクロスしないですよね。

藤田 僕の個人的な印象ですけど、鈴木老師を支えた人たちは、禅センターを作るようなプロジェクト好きの優等生タイプ。弘文さんの周りに集まった人たちは、もっとノマドというのか、一匹オオカミみたいな。

柳田 そうそう、ノマド! 遊牧民なんですよ。彼らは属すこと自体が、もう、とっても嫌なの。ジョブスもそう。かなりむずかしい人たちですよ。弘文さんは、師なのに家庭崩壊や飲酒問題を抱えて、自らの混乱を弟子に隠すでもなく晒して生きた。あのはからいのなさ。ノマド体質の人々にとっては、なんとも魅力的に映ったでしょう。

藤田 日本では曹洞宗のエリートで生まじめだった弘文さんが、アメリカで枠からはずれてがらっと違う生き方になった。ある意味、当然だと思います。自分が向かい合っているアメリカの人々に合った禅を、スクラップ&ビルドでゼロから創造していくしかないのですから。その結果、破戒しているように見えたかもしれない。鈴木老師も弘文さんも初心にかえって、日本に育った禅という木をアメリカというまったく違う土壌に移植する実験を人生をかけて試みたんです。

柳田 弘文さんの宗風を「願って地獄に堕ちる」と、形容された高僧がいらっしゃいました。弘文さんは異端に見えて、仏教に対して最期まで真摯だったと、私は思います。

藤田 わかります。完成された禅マスター然とした人ではなく、あくまでも乙川弘文という一人の悩める修行者だったと、僕は捉えています。限られた機会だったけど、お目にかかれたのは大変ありがたいことでした。

 でも、僕みたいにかすっただけじゃなくて、弘文さんによって人生を狂わされた人々の声も『宿無し弘文』には取り上げられていて、人一人が生きるってことは、交通事故に遭い、その事故処理している間にまたぶつかって、事故と事故処理の連続だなと改めて思ったですね。

 アメリカは今、コロナや暴動など本当にトワイライトゾーン。だからますます、この世の上下に翻弄されない、地に足のついた日常生活が必要になってきている。ここは新しい形で、ジョブズのようなカウンターカルチャー世代が禅に向けたのとはまた違った形で禅が注目されるべきだし、注目されて欲しいと願っています。問題は、禅が、この未曾有の状況に応えられるように自らをアップデートできるかどうかというところで、そこはちょっと心配だけれど。やっぱり、初心、ビギナーズマインドがキーワードでしょうね。

タサハラ禅マウンテンセンターにて。後ろ姿が法話中の鈴木俊隆。写真は、『まがったキュウリ──鈴木俊隆の生涯と禅の教え』(デイヴィッド・チャドウッイク著、浅岡定義訳、藤田一照監訳/サンガ刊)より。

*この対談は、第70回「サンガくらぶ」オンライン講座、「鈴木俊隆、乙川弘文、スティーブ・ジョブズ:対談 藤田一照×柳田由紀子」(2020年7月11日)をもとに、後日追加対談を行い再構成したものです。

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